皆さんのひとこと

―今と五十年前―

(住谷先生クラス版)

今:200413日同窓会案内の返信葉書より

五十年前:二番丁小学校卒業記念文集1959.3より

 

    **** 今(2004年)*****


植松幹久

 同窓会へのご案内、喜んで出席いたします。

 手配等、色々とお世話をおかけいたしますが、

よろしく!!

 皆様に会える日を楽しみにしています。

大島俊作

 いろいろお世話になります。

 楽しみにしております。

中浦 弘

 子どものときと変わらず、いつも元気です。

 皆様によろしく。

中村和彦

一月三日を楽しみにしています。

よろしくお願いいたします。

西澤一弘

 楽しみにしておりましたが、所用があり、誠に申し訳ございませんが欠席させて頂きます。

林 雅彦

 お手紙ありがとうございます。懐かしく拝読いたしました。

 両親とも具合が悪く、出欠の様子をみておりましたが、日程的にも難しく残念ですが出席できません。

 住谷先生、皆様に宜しくお伝え下さい。

細谷伸一

盛大に開催できることを、願っております。

和田忠彦

 一月三日を楽しみにしています。

河口(吉武)和子

 出席します。楽しみにしています。

 五十年ぶりに会う人がいると思いますが。

506年)

 先生がお元気で何よりです。

 私も、4人のうち3人が結婚し、あとは末っ子の二男が一人前になれるまで・・・と、いろいろ楽しみながら日々を送っています。

 会うまで、さようなら!!

高橋啓子

 五十年ぶりの再会ということで気恥ずかしいような気もしますが、心を開放して臨みます。

 又新しい何かが始まるといいですね。当日を楽しみにしています。

谷(香西)和美

 同窓会案内状ありがとうございました。

 先日、橋本さんから電話をいただきました。

 今回は義母の米寿の祝いの予定があり参加できませんが、住谷先生はじめ出席される皆様によろしくお伝え下さい。

兎子尾節子

 懐かしいお便りありがとうございました。

 ご案内頂きました同窓会、残念ですが、今回は欠席です。住谷先生、出席された方々によろしくお伝え下さいませ。

幡(荒木)敦子

 今回はとても残念ですが欠席させていただきます。ハンガリーとチェコへの旅行を予定してしまったので・・・。

 先日、住谷先生からもお電話いただきました。

名簿の名前、とてもなつかしいです。是非、又の機会を作っていただきたくお願い致します。

ご出席の皆様に呉々もよろしくお伝え下さい。

増田(佐藤)佐智子

 楽しい会にしましょうネ。

三村(玉井)美智代

 この度はお世話になります。

 五十年ぶりの方もあり、皆様にお逢い出来るのを大変楽しみにしております。

三宅(田中)道子

 正月、主人の兄弟が義母の見舞いに来ることになったので、残念ながら欠席します。

村冨(宇川)和子

 名簿を見て、とても懐かしかったです。

 親しかった人が、欠席、又は、空白になっているので、残念。(私も病後なので欠席ですが)

 後日、同窓会の様子を知らせていただければ、嬉しいです。

 名簿を見るたび、小学生にタイムスリップです。

森(永井)郁子

 大変申し訳ありませんが欠席とさせて頂きます。皆様によろしくお伝え下さい。

山下(森川)美智代

ほとんど思い出される人達ばかりで、一月三日を楽しみにしています。

 

    ****50年前(1959)*****


勝利のクラスマッチ 稲垣湧二郎

五時間目始めのベルが鳴った

クラスマッチだ

赤い帽子 白いトレーニングパンツ

きれいにととのった六年男女

いよいよ試合開始

緑のボール 高々と上にまいあがった

ジャンプ ジャンプ

味方のボール 声援があがる

緑色のボールでシュート

吉川君ジャンプ

みごとに入った

再びシュート

またシュート

試合終了

一回戦に勝った

修学旅行の思い出  植松幹久

 六年の時、僕はみんなと、高知へ行きました。父母に、見送られて、高知に行くと中に、土佐山田と言う所で降りてバスで、竜河洞へ行って、中を見物した。中は滝のような所があった。上にはコウモリがいて気持が悪い。

 そして高知城に行くとやりや、刀をおいていた。城の外では土佐犬を木につないでいた。犬はおかしを食べながら、みんなの方を見ている。夕方になって宿屋についた。

 みんなと食べるのが、へんだった。また、ふろにはいるのは、二、三分だった。ねる時みんながやかましいので、ねられなかった。

 朝外で体操した。近所の人が見ていた。そして昼バスにのって駅にいった。

 別れる時、テープをくれた。そして、はたもくれた。オンガクをふいてくれた。

 「がんばれ二番丁」

  ぼくのしょう来   大島俊作

 もうすぐ三月だ。三月になれば、もう卒業だ。小学校の入学式の時、新しい学生服を着てダブダブのぼうしをきて、入学してきたことがきのうのことのように思える。

 これからはどうしようか、おとなになってからは、どんなことをしようか。でもぼくは、悪いことはぜったいしないようにしよう。

 ぼくは、大臣や社長などだけが、えらいとは思わない。やおやの小僧でも、月きゅうの安いサラリーマンでも自分のしなければならない仕事でも、いっしょうけんめいにする人の方が、社長などより、もっとえらいと思う。ぼくはどんな仕事でもいっしょうけんめいにやりとげる人になりたい。ぼくはこれからも正しく生きようと思う。

 「健康でがんばろう」

空気入れ      大西政広

 きのう、帰ったら、父が「おとうさんの自転車に空気を入れておいてくれ」と言った。ぼくは、すぐに、げた箱の横においてある、空気入れを持って裏へ行った。裏には、ぼくの自転車と父の自転車があった。タイヤーを調べてから空気を入れた。前はあまりぬけていなかったので、あまり入れなかった。父の自転車にはもうタイヤーがふくれていたので、もうやれた。ぼくが父に「もうすんだよ」と言うと父は「自分のにも入れなさい」と言った。もう一度裏へ行って自分の自転車にも空気を入れた。ぼくのは、最近乗っていないので、空気がたくさんぬけていた。力いっぱい空気を入れた。後ろがすんで、前へ行くと前のタイヤーはそうたくさんぬけていなかった。少し入れてもうやめた。ふと手を見ると手に小さなあせが出ていた。少しして、父が出てきた。父は「おつかいに行く」といって自転車を玄関へ出して東の方へ行った。ぼくは後すがたを見て、ぼくの入れた空気がちょうどいいかしんぱいであった。

  六年間をかえりみて 日下 光

 ぼくが、六年間をかえりみて、いちばん頭にのこっているのが、修学旅行である。それでぼくが、中学校にはいってもそのことは、わすれないでおりたい。もう一カ月あまりで、この学校ともおわかれであるので、もっと勉強をしたいと思う。ぼくは成績はふつうなので、中学校にはいっても、がんばりたい。ぼくを、教えてくれた先生は一年は住谷先生、二年は同じ、三年も同じである。四年は北村先生、五年は大黒先生六年も同じである。一年から、六年までの中で、いろいろなことを、教えてくれたのが大黒先生である。だから中学校にはいっても、そのことは、わすれないでおりたい。教室の中の友だちと仲よくいっしょに、中学にもはいっても、いっしょの組になったらいいと思う。この二番丁小学校からでる生徒のいい人ばかりでたらいいと思う。

 「がんばれ二番丁」

修学旅行      里茂安夫

 きょうは高知へいく日です。朝起きるといいてんきでした。朝の六時半ごろ汽車にのっていきました。汽車にのっていたらしらないまに高知に着きました。しばらくあるいていると旅館に着きました。旅館にはいると中はやっぱりきれいでした。つぎの朝高知城へいきました。ものすごい大きい犬がいました。みんなが犬のほうへたかっていきました。また尾なが鳥もいました。尾はくろい色をしていました。またりゅうがどうへもいったり五台山へもいったりしました。夜はかいものに行きました。かいものをしていたところのむこうの道ろの所に大きな鉄きんこう舎がありました。上には電光ニュースがしてありました。かいものがすんで旅館にかへって二〇分ぐらいしてねました。つぎの日にかへりました。

 高松市立二番丁小学校さようなら

  小学校をかえりみて 十河孝之

 僕もいよいよあとわずかで卒業だ。中学生になるのはなんとなくうれしく思うが、また心配でもある。それは今までは、父も母もあまり勉強のことはやかましくいわなかった。勉強も大切であるが、むりをして病気になってはいけないと、いつも父が言っていたことを思い出す。中学校だと、なによりも勉強がだいいちである。僕だけでなく、ほかのものもそう考えるにちがいない。するとほかのものよりも、よけいに努力しなければいけないと思う。

 中学校への夢をいだいて、お世話になった先生方さようなら。

市報        津村宏之

 ぼくが五年の時近所の三好さんは六年生でしたが、今は中学校へいっています。今ぼくは六年生です。今三人で市報をくばっています。初めは戸のすきまからいれていました。三日ぐらいたつとじゅんじゅんなれましたが、まだ、「市報」と声を出した日は最近ですが、ゆうきを出していったら二回ぐらいでなれました。声を出していった。そとへ出てもう一けんで終りでした。一枚あまったのでどこへいれるのをわすれたのか考えたがわかりません。ふと思い出しました。それがぼくの家でした。ちょいちょいぼくの家にいれるのをわすれます。ぼくは九けんの家に入れますといつも一けんの家だけおかしをくれます。すまないような気がします。

手 紙       出口義則

 僕の父は、船員です。家と大へんはなれているので、手紙をあげたり、もらったりしている。一回お正月に帰って来たが四日目の晩、又いった。帰る時、手紙をたくさん書いてくれ、といった。

 それから今まで、少ししか書いていない。きのうの晩も書こうと思ったが、あまりねむいので書かなかった。だけどあしたは書くぞ、と決心した。

 今から、年の終りまで、大分ある。だから、たくさん書こうと思う。

 父は三月に又帰ると手紙が来た。僕は喜んだ。こんどは十二日間ぐらいいると書いてあったので弟は、僕より喜んだ。弟は今六才だ。けれども字は書ける。さっそく手紙を書いていた。前に父は弟が手紙を書きたいばっかりに、字を覚えたかと思うと、おもわず、なみだが出たと書いていた。僕もこれからは弟に負けないように手紙をかいて、父をよろこばせてあげようと思う。

  修学旅行     友沢 徹

 僕が二番丁小学校に入学してから、六年間が夢のようにすぎ去った。このすぎ去った六年間でいちばん印象に残ったのは、なんといっても修学旅行だ。その中でも、おもしろかったものが二つあった。一つは、汽車の中であそんだのがおもしろかった。二つめは、寝る時だった。はじめてなのでみんなこうふんをしてなかなかねむらなかった。僕もその中のひとりだった。しばらく話をしているとねむたくなったのでねた。そのあくる日りょかんの人たちにおくられて汽車にのって高松に帰った。

 わが母校よさらば、みんなりっぱになっていくことを僕は心からいのる。

  希 望      中浦 弘

 この学校へ入学した時は、大変うれしかった。それから一年一年と、すすんで行くにつれて、勉強はむずかしくなった。今はどの課目も、いやでいやでたまらない。それでもぼくは今まで、いっしょう懸命に、勉強をしてきた。だから、この学校を卒業できるので、大変うれしく思っている。

 一番うれしかったのは、三年の時、クラスマッチで全部優勝した。それは、みんながいっしょう懸命に練習し、力をあわせたからだ。ぼくも、いっしょうけんめいに勉強して、そして社会のために働きたい。ぼくはいつもそんなことを思ってばかりいる。

 希望をもって元気でいこう。

  臨海学校      中島 博

 あれは、六年生の一学期のことでした。綾川先生が「こんど夏休みになると、臨海学校で、津田に行くことになりましたので夏休みに、どこかへ行くため、行けない人は手をあげてください。」といいました。行かない人は、あまりいませんでした。

 それから何日かたって夏休みがきました。ぼくは心がわくわくしてきて明日がまちどうしかった。そして行く日がきました。学校から自動車にのって約二時間行きました。それからあるいていって津田小学校につきました。けしきがきれいでした。それから三日たちました。いよいよかえる日がきました。かえるときは、自動車がなかなかこないのであそんでまちました。そして学校について家に帰りました。ほんとうにたのしかった。

 二番丁の同窓生諸君、いばらの中もつっぱしれ。

  中学校に行って   中村和彦

 卒業もまじかになった。六年までにいろいろな先生におしえていただいたが、その先生のうちで住谷先生が、一番よかったと思います。中学校になっても先生方がおしえていただいたことが、やくにたつだろうと思います。

 中学には不良なんかがいると聞いて、ぞっとしたことがあります。そうしたら中学校へ行くのがおそろしくなったことがありました。でも、中学校には小学校になかった、英語や職業の勉強があって、たのしいこともあるでしょう。

 「よく学びよく遊べ」

試験のにがい思い出  西沢一弘

 みんな試験と言うのは、顔をしかめる話だ。ぼくもそう思う。中でも、算数、音楽、体育がきらいだ。先生に点をみんなが言っている時、自分の点と比較すると三分の一ぐらいの人が、ぼくの点より上だ。その試験を家に持って帰ると、父母が「もっといい点をとらなかったらいけないですよ。」と、きつくいわれると、ぼくは泣きたくなってしまう。明日からはしっかりやろうと思っても、やはりだめだ。また試験を持って帰るといつものように、きつくしかられると思うと、もう父母に見せるのがいやになる。母は「きょうの試験は。」と、言うと、ぼくは「うん、まあまあ」と、うそを言ってしまう。その学期が終って、学びのたよりを持って帰ると、母は「あんなによさそうに言っていたのに、悪いのね。」と、言われると、言い訳にこまってしまう。これから学校に行っている間、試験があると思うと、いやな感じがする。

僕の弟       林 雅彦

 「林君よりも太っとるなあ。」と、僕は友達によくこう言われる。一番の弟のことである。この間のことだ。いつものように相撲をしていた。「のこった。」本気になってとらなかったので、簡単に押し出されてしまった。早いものです。まだまだ赤ちゃんのような時、僕が背おっておもりをしました。おせんべいを食べながらおもりをすると「ウマウマ」といって泣き出す。仕方なしにおせんべいをやると、すぐ直る。本当に、にくらしいが、かわいらしいものだ。間もなく二番目の弟が生まれた。またまたおもりである。今は幼稚園に行っている。この頃でもよく三人で遊びに行くと、「兄ちゃんおして、おして」と泣き出す。利久とまったく同じだ。背おってやると、「ハイヨー」とカウボーイ気どりだ。まったく世話のやける弟です。よく生意気に「おい、兄ちゃん。」とか「えらそうにするな」と意張る。だがかわいい僕の弟である。

金 魚       伏見秀雄

 ぼくの家に金魚が五ひきいます。

 赤が一ぴき、白いのが三びき、白と赤がまじったのが一ぴきいます。えさをとってきてやると、まだ箸からはなしてないのに、上へあがってきて、えさをとって、底までもっていってたべる。底へ行くと、底におちたのをたべないで、ぼくがはしでもっていってやったのばかり食べる。ぼくがやらないで見ていると、底におちたのをたべにいってじっとみていると、えさを一ぴきとって、ほかの方へ行ってたべてきて、また一ぴきとってたべ、たべてすむと、上へあがって口をパクパクとあけている。

 ゆっくりと、空にういているように、水の中でじっとしている。またおなかがすいたのかまたたべる。

 あくる日みるともうえさは一ぴきもいないで金魚はえさを、一晩でみんなたべてしまった。あんなにたくさんやったのに全部たべ、おなかをこわしはしないかと思った。

僕とクラスマッチ  細谷伸一

 クラスマッチは、六年間の学校生活で一番楽しかった。四年までは一組で、優勝ばかりしていたので、ほかの組は「もう一組には絶対かなわん」と、言っていた。その時の受持の先生は、住谷先生で何事も、熱心におしえてくれた。クラスマッチの練習の仕方は、特にそうであった。

 五年で、組がえをして四組にかわった。五年のクラスマッチは、たいへん残念だった。優勝戦でおしくも負けた。あの時は、ソフトボールでぼくが投手した。思い出してもはらがたつ。けれども、きっとこんどはかってみせるぞという希望がいつでも心にわく。

 僕は、いつでもクラスマッチにでる。それは、学校生活の思い出だ。

 「友よどんなにつらいことがあってもがんばろう」

  入学してから    前田純一

 ぼくは、四月紫雲中学校に入学します。そこで、中学校生活を、規則正しく送るために、自分の持っている長所、短所をどのように生かし、改めたらよいか、考えてみました。

 ぼくの長所は、考えついたことは、自信を持って発表できるという事ですが、実行がともなわないのが欠点です。だから、もっとよく考え、発表したことにせきにんを持ちたいと思います。そして、これをどんどんのばして、うんと利用していきたいと思います。

 短所は、一番に気の短いことです。これは、人の評判やとりざたによって、人のねうちはかわらないということを信じて、あまり気にしないようにしたら、自然になおっていくと思います。

 これからは、希望をもとめて元気に、よく学び、よく遊びたいと思います。

「希望を持ってがんばろう」

別府へ行ったこと  松下 明

 三月の中ばごろ、ぼくはとうちゃんや市役所の人たちと夜、船に乗りました。のった船の名はるり丸という大きな船でした。ぼくは二等室にはいりました。朝ごはんは船で食べました。ひる別府に着きました。ついてからすぐ旅館にいって、からだを休めて、じごくめぐりをしました。中でもおもしろかったのは、ぼうずじごくや血の池じごくや海じごくやたつまきじごくでした。ぼうずじごくはねんどがぼうずのようにまるいものが出ていました。たつまきじごくは湯が岩の間からシューとふきだしていました。血の池じごくは湯が赤くなっていました。海じごくは湯が海のように青くゆでたまごもすぐできるようなあつさです。高さき山へ行くとさるは山奥ににげこんでいませんでした。それからいろいろあそんで船にのって帰りました。

  好きな旅行     松田雅春

 僕が、四年生の夏京都方面に旅行した時は、うれしかった。その年に社会科で四国山脈の勉強をした。その時僕は教室の窓から南の方を見た。紫雲山が高くそびえている。四国山脈を越えたことはない。それでいつも越えたいと思っていた。また五年生の夏京都を旅行したけれども四国山脈はまだ越せないのだ。けれども、六年生になれば高知へ行けるので待ちどおしい。秋冬ついに六年生の年を迎えた。その春とうとう僕の望みが果たせる時が来た。五月二十一日朝六時一分、高松本駅を放れ、高知県山田駅についた。まず竜河洞、高知城を見て、旅館に行って、みんなとねてとてもうれしかった。二十二日かつら浜へ行き、とうとう高松にかえった。

 それでこんどは、東京へ行きたいと思う。

 「さらば友人母校ついに中学校へ」

高知へ修学旅行  三好利行

 汽車に乗ってから五、六時間で駅について竜河洞を見物してから、バスに乗ってセントラル旅館についた。夜になると高知の町を、見物してみやげものやいろんなものをみんなは買って旅館に帰った。さあ次は食事だ。僕は一番はしっこで食べた。そして一つ感じたことは、みんなと食べる時はごはんがおいしいと言うことだ。僕にとってはごはんの時は楽しかった。食事も終ると次はふろだった。僕はふろへははいらなかった。そしてみんながふろからでてきて「ここのふろ、いしでかこいしていてだいぶきれいやの。」と言ったり、「おれふろの中でおよいだんぞ。」と言うのもいた。僕はふろの中がとても見たかった。それからはみんなは、トランプをしたり、木のわのようなものを人の頭にかけたりして遊んでいた。僕はトランプをして遊んだ。そして次はねる時だ。

みんなはさわいだりしていた。中には、ふとんの中であばれている子もいた。

地区対抗リレー   吉川二郎

 それは運動会のことだ。浜ノ丁第三は地区リレーにかてるであろうかとぼくはむねに手をあてて考えた。こんどこそは勝とうと思ったぼくはむねをおどらせた。

 位置について「用意 ドン」ピストルの音も高らかにスタートを切った。第一走者は三年女子一位、第二走者は三年男子二位、第三走者は四年女子三位におち、第四走者は四年男子三位のまま、第五走者は五年女子、第六走者は五年男子、ここでバトンタッチをうまくして一位にあがった。第七走者は六年女子でだいぶあいた。第八走者は六年男子ぼくである。その時は勝って一位であったが、午後からの優勝戦におしくも負けた。

 ぼくはそのくやしさが今でもわすれられない。

臨海学校      吉峰俊夫

前は海

うしろは山だ

がんぺきの上からみたら

とてもきれいだ

わすれない

臨海学校

雲一つない日本晴

田んぼのあぜ道には

せみがたくさん鳴いていた

  雲        和田忠彦

まっかな夕やけ空に紅色の雲が流れていく

大空をかけまわる雲いいなあ

いちどのってみたいや

ふくふくのわたの上に

けどおこればこわいんだ

夏の空をむくむくした入道雲がみえていたと思うと

まっくろな雲がでてくる

地球をにらみつけたと思うと

さっといなずまを光らせる

地球はかわっていくのに雲だけはかわらない

ぼくの生まれたころもまっ白な雲が

わらってながれていたろう

冬ぼくたちが雪であそべるのも雲のおかげだ

けれど雨をふらせるのはいやだなあ

そんなことを考えて空をみているうちに

今みえていた白い雲は

ぼくの家をこえ山をこえて

みえなくなった

  思い出の修学旅行  荒木敦子

 待ちに待った修学旅行の日、父や友達のおとうさん、おかあさんに見送られながら桟橋を出発した。

 汽車の中では雑誌やトランプなどを持って行ったので、たいくつせずに土佐山田の駅に着いた。駅につくとすぐバスに乗って竜河洞や五台山、高知城を見学して、旅館に行った。旅館はセントラル旅館と言って、とてもきれいで設備もととのっていた。

 その次の日は雨が少しふっていたが桂浜へ行って水族館を見学した。大きな海がめや、きれいな魚がたくさんいた。桂浜を見学したあと、高知駅から帰った。このたのしかった修学旅行は私の一生の思い出となるだろう。

 「同級生よ、毎日の生活を幸福に。」

  新しい家      宇川和子

 私の家は、大分古びています。表をバスが通ると、少し家がガタガタとゆるぎます。私はいつでも、家を建てたらいいなあと思っています。そして、私一人が使う室が、ほしいといつでも母にいっていました。

 二月のはじめごろ、おじいさんが私の家に来て、母や父と何か話していました。私は何を話しているのかと思って、お茶をもって聞きにいきました。すると、びんせんに家の設計図を書いていました。私はすぐ家の設計図だということに気ずきました。おじいさんが帰ったあとで母に聞くとおじいさんが新しく家をたててくれるのだそうです。私はうれしくなりました。ゆめにまで思っていたことが、かなうのです。私の室は二階だそうです。くわしいことは、あまり知りませんが、家をつぶすのが三月で、つぶしてすむとたてはじめるのです。できあがるのは六月ごろだそうです。六月といえば、私は中学一年生です。早く、六月がくるといいなあ、と思っています。でも、家をたて終るまでは、きっと大きな音がするのでその間は、おちついて勉強ができないと思います。でも、気にかけないで、いっしょうけんめいにしようと思います。

  大すきな作文    尾崎照代

 ほたるの光を口ずさみ、なつかしの学校から去って行く。そんなころになると、六年間の思い出がどっと胸にあふれてくる。

 どれもこれも、私にとっては思い出ばかりだ。その中で一番いんしょうにのこるのは、先日西日本放送局へほうそうに行ったことは、いつまでも忘れられぬ。

 自分で作った作文を自分で放送する。それをきく。こんなうれしいことはない。私は作文が大すきである。その作文が放送できたのだから、うれしくて表現ができない。

 中学校へ入っても作文の実力をのばそうと思う。

  私のお兄さん    大藪京子

 私はお兄さんがとってもすきです。

 ある日、私はお兄さんと大げんかをしました。お兄さんは私に「京子、お前は少しわがままだよく考えて見ろ」といいました。私はその言葉を今でもよくおぼえています。その日は私が四年生の夏休みの時でした。私が日記にお兄さんの悪口を書いたのでお兄さんはそれを見て「京子が悪いんだぞ」といってひどくしかりました。それから一生懸命にお兄さんのいったことを守ったので後でほめられました。私にはたった一人のお兄さんですから、とってもやさしいと思っています。それからちょいちょいお兄さんとすもうなどをして遊びそんな日が一番楽しいと思います。けんかをした日には「あんな兄ちゃんなんか死んじまえ」と思う日があり、又やさしくしてくれる日にはやっぱりいた方がいいと思います。

 勉強も教えてくれるのでとってもいい兄さんだと思います。

思い出      香月百合子

 たのしかった六年間。一年、二年、三年と、心の中で思い出す年。それは、勉強や遊びなどだ。

 でも、それは、できなくなるだろう。そう思うと、なにかさびしい。

 中学校は、どうだろう。勉強ばかりではないだろうか。母のことば「よく勉強しなさいよ。」という。兄姉もよくにている。父はいないが、よく学ぼうと思った。

 「努力一心」

  先生にほめられて  川崎幸子

 五年生の国語の時間でした。ちょうど河口慧海のところをならっていました。先生が、「慧海のえらいと思うところはどこでしょう。」と、おききになられました。みんなそれぞれ手を上げました。先生はじゅんじゅんにあてていき、やがて私にあたりました。私は思いきって自分の思ったことを発表しました。発表してすんでから、はずかしくてあまりじょうずにいえなかったなあ、とあとから思った。先生がみんなに「今の意見の中でとてもいい意見がありますがどの人の意見でしょうか」とおききになりました。みんなそれぞれの名前を出しました。先生が「川崎さんの意見がいちばんまとまっていい意見です。」とおっしゃった。私はびっくりして、たちまちかおが赤くなりました。うれしいやらはずかしいやらでむねがいっぱいでした。今でもそのことはわすれられない思い出だ。

 「努力に努力をかさねてがんばろう」

  一年生の思い出   櫛橋淑子

 入学式の時だった。六年前のことだから記憶も薄れているが初めてこの二番丁の門をくぐった。どこかの教室で色々なことをした後庭で式があった。それもすんで先生がご自分の名を紹介された時だった。「私の名は」と言いながら黒板に「すみたにひろこ」と書かれた。私は幼稚園に行かなかったので字がよめず、黙って字を見ていたが他の人達は「すみたにひろこ」と勢いよく読み上げた。その時私は、ふしぎなことに気付いた。「みんな読めるのにどうして私はよめないんだろう」と言うことだ。家へ帰って一生懸命考えたが考えれば考えるほどわからない。毎日そればかり考えてやっと五日目にその大きな疑問がとけた。それはいたって簡単なことである。「みんなが行った幼稚園に私が行かなかったからである。だがこれから字が読めるかしら?」ということが心配になったがそれもすぐわかって安心した。

 これが私の六年間の学校生活で最も印象に残ったことである。 「信頼される人に」

友 達       香西和美

 この六年間の間で一番印象に残ったことは、友達のことでした。

 下学年の頃は、友達のことなど考えてもみなかったけれど、五年六年と大きくなるにつれて、一人決まった友達がほしくてほしくてたまらなくなってきました。特に、六年生の一学期頃からは友達のことで、頭がいっぱいのことがよくありました。

 私には、仲のよかった友達が、二、三人いました。時々仲の良い友達を見ると、「私も、あんな友達がいたらなあ」と思う時がありました。

 今度中学校へ入ったら、仲の良い友達が、つくれたらうれしいと思います。

 「この六年間力になって下さった先生方 さようなら」

給食について    駒井啓子

 ミルクやおしるこなどをつぐ時は、なれないせいかつぎにくい。でもみんながまじめによくやってくれるからたすかる。この前でも二人でミルクをついでいたらミルクがまけて、先生にしかられた。その時先生は気げんがわるかった。私たちがいろいろなものをついでいたらおせっかいをするときがあるそんな時によくはらがたつ。そんな時にはらをたてると部長というのがだいなしになってしまう。部長をやめたいという気もちがなんどもおこったことだろうか。でもほかの人たちは、よくやっているのに私だけがそんなことを思うとはずかしくなってくる。このごろ先生に、おせっかいをされてもなんともおもわない。中学へはいってもはらをたてないという気もちをいつまでももっていたい。

 「心に太陽をもて」

六年間ありがとう 佐藤佐智子

 もうあと、わずかで卒業だと思うと、何かしらさびしくなる。この六年間いっしょに学び、いっしょに遊んで来たお友達、いろいろお世話になった先生方ともお別れだ。

 この間、桜のさきほこる門を、母に手をとられ、喜びと希望を胸いっぱいにつめ入学した。と思うと、今は卒業式を目の前にひかえている。月日のたつのは、早いものだな・・・・・。今こうやって、筆を取り、おちついて考えてみると、仲よく友だちと遊んだこと、その他さまざまなことが頭にはっきりとよみ返ってくる。無心な一年生の時から今日に至るまで親切にみちびいて下さった先生方、心をこめて、私たちが食べる給食を作って下さった給食のおば様たちのご恩を胸にしっかりといだき、感謝しながら私たちは二番丁小学校を卒業していきます。在校生の皆様この学校を一そうよい学校にし上げて下さい。

 「何事にもくじけず、希望を持ち、人生を楽しくしよう。」

大山先生      砂川聆子

 私たちを雨の日も風の日もお教え下さった大山先生、ありがとうございます。

 大山先生は鼻の高いおもしろい先生でした。

 冬の寒い日私たちのとうあん用紙をつけ日が西にしずむころオーバーのえりを立ててお帰りになられるおすがたがよく見られました。又クラスマッチでは、勝つことができなくてもみな優勝戦までいけた。これも先生のおかげであります。私たちはあと数日で卒業です。こんど先生のおうけ持ちになられるクラスの人々にも私たちの時よりもっとおもしろい先生になられますよう心からおいのりいたします。私は大山先生と臨海学校修学旅行へと行きましたことを小学校最後の思い出として二番丁を去ります。いつまでも鼻の高い先生、おもしろい先生として思い出になることでありましょう。では母校よ又大山先生よ、さようなら。

よういドン     高橋啓子

 六年間の長い小学生活もあとわずかとなりました。そしていよいよこんどは中学生として出発、何でも出発の時がいちばん大切です。今ちょうどかけっこのよういの時です。私は中学校へ入学してからはあれこれいろいろな望をもっています。でもそんなことはよういからうんとやっていこうと今はそればかり考えているのですが、何も予習なんかしていないので少し心配です。でもあるだけの力をふりしぼってやっていきたい。もしそれができないとこれから後のことが心配になる。よういからぼつぼつがんばりドンの時はふく習ぎみでやっていこう。そしてよく学びよく遊びそして勉強の力をうんとうんとつけてゆきたい。

かばん      竹内和子

 かばんは何年持ってもこわれない。

 それに重い荷物を入れても重いともいわず、

 天気の悪い日でも働いてくれたかばん。

 それなのに私たちはかばんに意地悪をします。

 それでもかばんは泣きもしませんでした。

 そのかわりだいじにしてやってもなんとも思わないのです。

 でもかばんは私を卒業させてくれます。

 でもまだまだ働いてもらわねばなりません。

 かばんはきっとおもしろくないと思っているにちがいない。

失 敗       田中道子

 ズズッ、バチャン、おそうじの時だった。私は、はっとした。石の上にガラスが二つになってわれていた。私はびっくりして、じっとしていた。香月さんが紙をもってきてはってくれた。ほっとして、さわると又こなごなにわれた。先生にあやまりに行くと、許して下さったが、なんだかなきそうになった。

 六年生の一学期だった。

 理科の実験、私の班は、写真をとってもらった。うれしかったが、実験の後で蒸発ざらを、わってしまった。

 これも先生に言いに行った。みんなが心配そうに私の顔をながめていた。二学期だった。

 中学校へ行ってから、こんなことがないように気を付けようと思う。

 「みんな仲よく 元気に」

卒業前に     玉井美智代

 私は後まじかで卒業します。

 母に連れられて泣き泣き校門をくぐったのも、ついこの間のように思われますが、早六年生の終りも、もうまじかになりました。中学生になるのはうれしい。だがなんだかさみしいような気持もします。この六年間友達といっしょに遊んだことや楽しかった遠足、修学旅行、臨海学習、その他、色々な思い出が浮かんで来ます。五年、六年と教えて下さった、あのおもしろい大山先生ともお別れだ。なんだかさみしい気持が浮かんで来る。特に思い出としてのこるのは修学旅行に行ってねる前、池内さんがゆうれいの話をするとみんなが「キャーキャー」と言ってふとんの中へはいって首だけ出しておそろしそうな顔をしてきいていたことです。

このような思い出をあとにして私は卒業して行きます。

  遊園地      兎子尾節子

 大阪へ行って、五日目だったと思う。「宝塚見に行こう」と、おばさんのお弟子さんがいった。宝塚を見るのは始めてなので、うれしかった。姉、お弟子さん、私と三人で電車や地下鉄電車に乗って行くと、とても大きな建物がたって、その横に動物園や遊園地などがあった。

 宝塚の中に入って、しばらくまつと始まったので私の胸は、わくわくして来たのを感じた。姉もきっと私と同じにちがいない。きれいなドレスを着ておどったり、げきをしたりして、とてもよかった。動物園を見て、こんどは遊園地へ行くと、高松にない乗り物がたくさんあったので姉に言って乗りました。始めはゆっくりしていたので、なにもこわくもおもしろくもなかったが、坂にくると、とても早くなったので、思わず「キャー」と、さけんで姉にしがみつきました。まわりにいた人も「キャーキャー」と声をあげていました。ゆっくりなっては、早くなりしているうちに、終ってしまった。もう一度乗りた

いと思ったが、ほかの遊びもあったので、ちがう小さな建物に入って行くと、五、六人ぐらいすわれるいすにすわると、まもなくまもなく動き出した。屋根が反対になったり、横になったりして、おどろいたり、これもさわぎながら終った。私は始めてあんなおもしろい乗り物に乗った。高松にもあんなものがあるといいなあと思いながら帰った。

  修学旅行の前夜   永井郁子

 明日は、たのしい六年生の修学旅行。まちにまった旅行の前夜、私はうれしくてうれしくて色々準備にとりかかり一度も行ったことのない高知の景色をいろいろと、想像したり今まで一番たのしい晩でした。

 明日は、天気であるようにと祈りながら修学旅行のことを頭にうかべながら、とこにつきました。寝ていると、早くいきたいと思ったが、明日は、この家で寝られないと思うとなんだか淋しいような気持になりました。昼は毎日おおぜいのお友達と生活していますが、夜もお友達と共に過ごすということは生まれて初めてなので、誰といっしょに寝るのかな、わたしの好きな友達といっしょに寝られると良いのにと思いました。知らないところへ行く不安な気持はありましたが、おおぜいのお友達がいますので安心してゆっくり眠ておこうと思って目をつぶりました。

  大好きなバレー   平田和子

 わたしは、どうしたことか、小さい時からバレーが、好きです。そして、わたしには、希望があります。それは、将来バレーの先生になることです。近所のおばさんも、和子さんは、バレーをならったらいいといってくれたのでわたしは、にこにこ顔で家にかえりました。かえっても、うれしくて、一生懸命おけいこした。あくる日公会堂で、バレーがあるといったので、近所の、バレーをならっている人といっしょに、見にいきました。その見たおどりを家ですると、わたしのおかあさんは、そんなおどりもうやめないと、いったので、わたしはかなしくなりました。あくる日わたしは、おかあさんに、うち、バレーならってもええやろといったら、おかあさんは、そんなもんならったらいかん、お花でもならいなさいと、いいました。わたしは、おかあさんのいうとおりにしないと、おとうさんにおこられるので、もういわんといって、おしこみの中にはいってなきました。

  一年生の思い出   水野和子

 私の一年生の入学は、二番丁小学校ではない。ほんとうの入学した学校は亀阜小学校だ。八カ月ぐらい亀阜小学校にいたが一年生の終りごろ二番丁小学校へ来た。私が二番丁小学校の門を母と二人で職員室の方へと向かった。そして校長室へはいっていったら校長先生が「どうぞこのいすに、かけてください」と、おっしゃったので母と私は、おしりをおろしました。十五分ぐらいすると若い女の先生が来て「住谷でございます。」とおっしゃいました。そしてまもなく一年一組と名ふだのついた教室の戸をガラッとあけました。その時はちょうど、国語のテストをしていて、私にも、プリントをくれた。すこしわからない問題があったので後の人のを見たら先生が「水野さん」とよんだので、びっくりしました。今思い出すとずいぶんきびしい先生だと思った。でも先生は大好きだ。

 「大きくなるにつれてよい子になるのを私はねがっている。」

六年間の想い出  森川美智代

 今、一番深く心に残っているもの・・・それは、四年の時のことです。

 ある日、急に先生が「だれそれとだれそれは、音楽室へ来て下さい。」とおっしゃられた。そして「遠くの町」を階名で歌わされて、AB不合格に分けました。その時私はAに選ばれた。そして、三月三日のひな祭の日に、尾崎さんと二人で放送局へいって歌った。勇気を出して歌ったが、はじめてだったので、やっぱり失敗しました。

 その時のことが今も悲しい歌や、歌、歌と聞くだけでもなつかしさがうれしさといっしょに心からわき出てきます。

 この「遠くの町」というのは、一生わすれないで、深く心に残っていることでしょう。

 「明るく元気よく」

  六年間の反省  吉武和子

 私は、一年生の時、先生と遊ぶのがきらいだった。だけど今では、先生と遊ぶのが一番たのしい。体操が一番得意だ。体操の時間は大山先生と言う男の先生で、雨のふった日は必ずおもしろいお話をしてくださるので大変おもしろい。私は発表するのがきらいだ。自信がないのだ。まちがって解答すると顔が赤くなってその一日何も発表をしなかった。学びの便りにも「発表に自信を持ってほしい」とかかれた。

 こないだのクラスマッチは、私達のクラスが優勝した。五年の時のクラスマッチは、一組が優勝した。六年の最後のクラスマッチは、ぜひ優勝したい。

 「六年間勉強を教えてくださった、先生方さようなら」